Up 「考える → 書く」ではない 作成: 2025-09-23
更新: 2025-09-27


    ひとは,「書く」を「考えたものを書く」だと思う。
    書くのはテクストだから,「考えたもの」はテクストであることになる。
    よって「書く」とは,内に隠れて見えないテクストを外に現して見えるようにする行為,ということになる。

    こうして,テクストに内と外があることになる。
    実際,「内言」のことばがあって,これは「内のテクスト」を指す。
    翻って,書かれるテクストは「外言」ということになる。

    この 「考える → 書く」を,ChatGPT で考えてみる。


    ChatGPT は,テクストを生成しているときが,活動しているときである。
    何かをするときは,同時にテクストを生成していなければならない。
    「考える」も,表ではテクストを生成していなければならない。

    テクスト生成は,トークンの追加である:

     テクスト トークン トークン ‥‥ 
            ↑    ↑     
       │ 処理 │ 処理 │  ‥‥ 

    これに「考える(内言) → 書く(外言)」を当て嵌めようとすれば,つぎのようになる:

              ┌──内言──┐ ┌──外言── ‥‥
     テクスト トークン ‥‥‥‥ トークン トークン ‥‥ 
            ↑        ↑    ↑
       │ 処理 │  ‥‥‥‥  │ 処理 │  ‥‥ 
            └───考える──┴──書く─── ‥‥

    しかしもちろん,ChatGPT において「内言・外言」の別はなく,すべて「外言」である。
    そして「考える」 「書く」も,読む・考える・書くが1つになったものである。

    人間と ChatGPT のこの対比は,何を意味するか。
    つぎは本質的ではない,ということである:
       考える (内言) → 書く (内言を外化)

    ChatGPT が,本質を表している:
       「読む・考える・書く」 が1つ = 生成 generation