Up 「自分の考えを言う」 の出自 作成: 2025-09-30
更新: 2025-09-30


    <自分の考えを言う>は,それが現れる場に現れる。
    その場は,どのようなものか?


    先ず,<自分の考えを言う>は,
      社会的な生き物は自ずとこれをすることになる
    というものである。

    ひとは,自分の長い話には付き合ってくれない。
    だから,短く言う必要がある。
    そして,短く言うことは,ことば足らずで言うこと。

    このことば足らずの様相が,個によって違う。
    即ち,個性になる。
    <自分の考えを言う>は,<自分の考え>そして<自分>の現れになる。


    ことば足らずは,危ない。
    相手に誤解される。

      尤も,「真意」 「ことば足らず」 は,相手に誤解されてこれが認識される,といったものである。

    そして,自分の愚かさも露わになるので,恥をかく。
    実際,短いことばでうまく言えないのは,愚かさである。

    しかし,愚かさはお互い様であるから,愚かな物言いは,却って相手を安心させ,よろこばせる。
    社会的な個は,<自分の考えを言う>でつながっている。
    <自分の考えを言う>をやって恥をかくことは,相手へのサービスである。


    そして,恥をかくばかりでもない。
    ぶっきらぼうで相手を驚かす物言いが,却って評価されたりして,「深いねえー」の勘違いをもらえることもある。

      ちなみに,これを逆手にとって,「何言ってんのかわからん」を方法論にするのが,「アヴァンギャルド」。
      ただしこれは,つぎに行ってしまいがち:
      • 自分の物言いに共感が無いことをよろこぶ
      • 自分の物言いに対して「罰」が来るのをよろこぶ


    こうして,いろいろなことはあるが,短い言い方を心掛けることは,間違いではない。
    短いことばでうまく言うことは,技能・アートになる。
    「余白・余韻」(敢えて言わない) が評価され,詩とか俳句がおこる。

    「研究」も,この流れで考えるものである。
    即ち,個をつないでいる<自分の考えを言う>の延長である。
    曰わく,「研究を著すことは恥をかくこと」。
    これは,「自分の考えを言うことは恥をかくこと」の延長である。
    この境地に至れば,研究で恥を書くことも,快感になる。